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本能が 薄まっていく

本能というのは、その種を維持、永続させるために必要不可欠の能力であろう。 人間にとっても本能は、なくてはならないものにちがいない。その本能が、昨今、だいぶいやなかたちで失われつつあるのではないか。 と、強く思ったのは、秋田の能代市で発生した小学生男児の殺害・遺棄事件の容疑者S女の言動にふれてからである。 もちろん、メディアを通して知りえたことだ。この事件の直前にS女の実の娘である、やはり小学生の女児が不審な事故死をとげている。
警察では事故死として処理しようとしたが、S女にはこの女児の死因についてなにかたいへん強い思いこみが働いたらしく、事故死に異議をとなえ、目撃情報の収集などの行動に出たという。 ふつうに考えても不自然な行動に見えるが、S女にわが子に対する育児放棄や、虐待などがあったと聞けばなおさらである。

生みの親より育ての親ということばがあるが、これにはおなかを痛めたわが子に対する愛情に勝るとも劣らず育てた子にも愛情が注がれる、つまり、母性愛は他人の子にも差別なく発揮されるものだという真理がこもっている。 これは父性愛にも言えることで、父親にはわが子同様に他人の子も命を張って保護しよう、という本能が働く。
小学四年のころだったか、近所の数人の遊び仲間と川へ泳ぎにいったことがある。仲間のひとりのお父さんがついてきた。 このとき、別の仲間が溺れて流されかけて、助けを呼んだ。すると、わが子でもないのにそのお父さんは、 「待ってろ!」 と、叫ぶやいなや、深みに飛びこみ、流されだした仲間を必死に追って、ついに助けあげた。
いまもわすれられない記憶の一コマである。たとえ、なにかのとき、自分の親がそばにいなくても近所のだれかのお父さんお母さんがいれば安心だと思うようになったのは、きっと、強く守ってくれる、やさしく包んでくれるとわかったからにちがいない。 S女は、わが娘とよく遊んだ仲間の男児にどんな感情を持っていたのだろうか。闇のなかの部分で理解に苦しむことだが、ただひとつはっきりしていることは、S女からは母性のほとんどが欠落していたのではないか、ということである。

この稿が活字になるころには、とっくに巣立ちしているが、わが家の庭木にかけた巣箱に営巣した四十雀の父鳥母鳥は、いまひっきりなしに雛に餌を運んでいる。 IT社会がすぐれた人間の本能をじょじょに弱めていくとしたら、こんなおそろしいことはない。

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